京都「五山の送り火」で有名な大文字山に登りました。
写真の説明に記名があるのは撮影者名です。記名がないのは島田撮影です。
琵琶湖疏水に架かる銀閣寺橋、この先の銀閣寺の参道を通り抜けてから登ります。
登山道入り口 修験道の開祖といわれる役行者(えんのぎょうじゃ)ゆかりの地のようです。(浜口)
いよいよ本格的な登山道に入る(浜口)
千人塚、このあたりからおびただしい人骨が出てきたようで、室町時代の戦(いくさ)で敗れた将兵たちの遺骨といわれています。
この階段を登りきると送り火の火床に到着です。
手前に見えるのは「大」の文字の各画が交わるところの火床で、「金尾(かなわ)」と呼ばれています。写真をクリックすると拡大します。(浜口)
「金尾」のすぐ後ろにある弘法大師堂、送り火は弘法大師が始めたとも言われています。
この大師堂に灯されている灯明から大松明(たいまつ)に火が移され、それを合図に各火床で一斉に点火されます。
火床からさらに標高130mほど登ると、大文字山の山頂です。山頂を示す標識がちょっとみすぼらしいです。
山頂にある国土地理院の三等三角点
再び火床まで下りてきました。ここから火床のすぐ横にある階段を下りると千人塚までショートカットになります。
無事に下山して銀閣寺前です。
下山後、恒例?のソフトクリーム、これはハチミツ専門店のはちみつソフトです。
帰り道のバス停から望む大文字山
「京都五山の送り火」は、毎年8月16日に実施される、お盆の精霊を送る伝統行事です。
午後8時、東山の大文字が最初に点火されます。(写真は「KYOTO SIDE」のホームページから)
登山の反省会(懇親会)は「がんこ高瀬川二条苑」で開催しました。(浜口)
山には登っていない3人も合流しました。
舞妓さんは、萩桔梗と祇園小唄の2曲を踊ってくれました。先斗町の踊りは尾上流だそうです。(浜口)
懐石料理 この後も次々と料理は出てきて10品、登山の疲れ?か食べきれませんでした。
この庭は、慶長16年(1611年)につくられた豪商角倉了以の別邸跡で、その後、明治の元勲山県有朋の別邸にもなり、現在は「がんこ高瀬川二条苑」になっています。
庭から見た開宴前のお座敷
翌日4人は清水寺に参拝しました。紅葉の時期も絶景ですが、「青もみじ」でも名所です。
諸願成就の音羽の滝に願いをかける長澤隊員(中央)
浜口隊長(左)と兵藤特別隊員
音羽の滝の前には大勢の修学旅行生がいました。(浜口)
清水寺境内にある碑 何と読むのでしょうか?検索するキーワードは、桓武天皇、蝦夷征伐、征夷大将軍、坂上田村麻呂です。(浜口)
宝塚で上演された公演の題名になっているので宝塚ファンはすぐに読めます!
トップページに戻る